vol.50 二元性を超えた感覚
ヤツメカワウソさんからのお便り③「二元性を超えた世界のエネルギーについて」
・感情・重力・意志・思考は二元性のエネルギー
・真我から最初にでてくるもの
・丹田という概念
・気づきに集中して真我に至れ
・二元性を超える
はい、こんばんは。ヤツメカワウソさん。ヤツメカワウソ…ヤツメウナギってありますよね。あれいいよ。
もう目がすごく悪いんですよ。やっぱり。パソコンでずっと1日1日10何時間見てるじゃないですか。パソコンと。目がどんどん悪くなってるから、ヤツメウナギ のエキスかなんかを錠剤を飲んでるんですけども、目を良くしようと思ったんだけど、あれ、精力つくんですよね。
だから少し元気になるっていうのはあるけども。うん、ヤツメカワウソってなんだろうね。そういう生物いるんですかね。
『3番目の質問です。二元性を超えた世界、実存や真我や深淵にはエネルギーというものがあるのでしょうか。
別の言い方をすると、愛や感情や重力などのエネルギーは、本来は二元性を超えたものなのでしょうか。
自分は「実存は無でもあり、無限でもあり、なんでもあり。
それを認識によって区分(分別)することによって、エネルギーという(有限の)ものが生まれるという認識です。』
いいとこ行ってますね。
二元性を超えた世界。要するに、真我にはエネルギーというものがあると言えるの?
エネルギーそのものです。うん。
でね、愛とか感情とか重力、愛はちょっと別なんだけど、感情とか重力とか意志とかね、思考とか、そういうエネルギーっていうのは、これは二元性のエネルギーです。
つまり、真我からこの宇宙を作るために、漫画に描いといたでしょ。にゅるんと出てくるやつ。(プロローグ三話「ガロ」参照)
あれが最初に出てくるのが…。
え、意図じゃないの?
あのね、言葉はない。
日本語で言葉がないんだけど、最初に出てくるのは「気づき」
さっきあなたが言ったじゃん。さっきというか前々回から言ってた、気づきっていうエネルギーが最初に出てくんだって。言葉で言うとだよ、日本語の。気づきってなんだろうね。
意図だと思ってたんだけど、僕は。
気づきというエネルギー、気づき。だから、なんか多分いい言葉があるんだよね。これまた考えてみます。
「気づき」というエネルギーが出てきて、それから「意図」「意志」みたいのになる。意志になって。「意志」が方向性を持つと「意図」になる。この辺りでも完全に二元性っていうか、陰陽に分かれてます。 (ここで無垢な宇宙が二元性を獲得する)
で、そこからこういうエネルギーが出てくるね。で、陰陽に分かれた時点で引き合うから愛という概念が出てくるよね。そういう形だね。気づきか。
ああ…なるほどね。
だからか。
あのね。
難しいぞこれは。
虚空蔵東京本の話だな、聞いてもわかる人いるかな。
例えば、丹田っていう概念があります。漫画でもよく話すんだけども、丹田っていうのは、この、人間のお腹の辺りにあるもんなんだけども、肉体にはないんですよ。肉体の太陽神経層ってのは、ここにあるんだけども、神経の集まった、そのそれに匹敵する部分なんだけども、そこに、丹田というものを色々こう練ってですね、練るっていうか、やって、こう作るっていうか、あるなって思わすような修行を丹田を作るって言うんですよね。
丹田ってのは、 気でもあり、魂魄体でもあるんですけども、肉体よりちょっと上の段階にあるんだよね。それが出来上がると、その上から来る意志とか意図とかのエネルギーを、肉体にバランスよく配置できる効果があるのね。
だから、チャクラってのはあるけども、チャクラとは別で、もっと肉体全体をコントロールするのに、すごく優秀なシステムになってる。
その時に、丹田を作るときに、意識しなきゃいけないのよ、丹田を。分かろうが、分かるまいが、丹田を意識するっていうことをしなきゃいけないの。それね、できれば1日中やってなきゃいけないのよ。その意識するっていうことを「気づき」っていうね。
だから、丹田だけじゃないよ、他のこともあるので、今たまたま丹田の話したけども、分かりやすいから。
その、すぐ忘れちゃうんだよ、人間は。
例えば、編集長は若いし、筋がいいみたいよ。
だから、例えば、ほら、集中力ってあるでしょ。1点の細かいLED光をずっと見つめなさいったら、見つめられると思うんだよ、君は。ところが、年取ってきたり、世間ずれしていくと、もう1点に集中とかできなくなるのよ。
それは、その気づきが薄くなってくんだ。気づきのエネルギーが。気づきのエネルギーってのは、根源的なエネルギーなんだよね。気づきがあって、意志があって、意図ができて、それから、いろんなエネルギーができてくる。気づきってのはものすごく大事で……ニサルガに戻るんだけど、その気づきってのは、すごい言ってるみたいですね。 読んでるようであんまり読んでないんだけど、ニサルガが大事だって言ってんのが気づきみたいね。すごく言ってんのが。
それでそうか。真我からすぐ出てくるのが気づきエネルギーだから、気づきに集中して、真我に至れってことか。
なるほどね。気づきね。
(※真我から押し出された無垢なエネルギーが「気づき」のため「気づき」に注視し「真我」に至れ)
集中でもないんですね、気づきは。 集中ってのは、集中ってのはちょっと違うんだよね。集中ってのは、例えばね、1点ずっと集中してると、変なものが入ってくるんですよ。あんまり僕は推奨しないんだけど。
うん、気づきのエネルギーってのは。難しいね。これは
かわかつ「(気づきは)観察とか探求に近いんでしょうか」
観察。探求。うん、そうだね。近いね。それを可能にするエネルギーだね。
いいこと言うね君。
かわかつ「会長から漫画の批評を書いてくれっていうのを言われて、ずっとその作品について向かい合って書いてる時に、すごい自分でも意味わかんないところで気づいたりとか、観察とかがあって、そういうことなのかなっていう風に今思いました。」
おー、なるほどね。はい、そういうことですね。だから、真我が単数なのか複数なのか、1つなのか複数あるのかわかりません。これはもう古川の、今後の探求によるよね。
『そもそも数で測ることが可能でしょうか』と。外から見ると可能だよね。でも真我の中に入ってしまうと、数で測ることはもうできません。
(※「真我が複数あるかどうか」それは真我の外から観ないと不可能
「真我を外から観る」という事は真我を超えなければならない、しかし古川はそこまでは行っていない。
ちなみに古川は真我の外(上位)を「深遠」としています)
だからね、二元性を超えるっていう感覚を古川はね、垣間見てるから、多分伝えたいんだよ。
二元性を超えた感覚っての。それは多分漫画でやろうとしてると思うんだけど、あの口ではなかなか言えないよね。わかんないよね。できるかな。
できるかどうかはわかんないけど、やろうとしてるということですね。はい、今日はここまで。